池坊短期大学紀要 (33号)2003年03月
論文:「伝統空間造形論(聖なるものの具現)」
(池坊短期大学助教授) 岩崎 正弥











はじめに
 私は建築計画・建築史を学び指導する立場から、日本の伝統的な建築空間の成り立ちを研究しているが、伝統的な建築空間は密接にその文化の諸相と関連している。華道をはじめとする茶道や香道などの芸道、能楽や邦楽などの様々な芸能、あるいは調度としての絵画や書画、道具として活用される陶磁・漆器・金工など、多様な工芸美術との関係について、大いに考えさせられる。
 また目に見えるものは、見えないものの為に多く捧げられているのであり、堂祠のみならず、住居や庭園や都市計画にも、それらに込められた祭礼的・精神的・象徴的意味を考えないわけにはいかない。
 そもそも建築空間は私達の文化を盛り付ける器であり、中味である文化あってこその空間である。したがって、日本の伝統的空間を理解するには、これらに関連する様々な分野を総合的に捉えて、それらに一貫して流れる構成原理を理解する視点が不可欠である。
 このたび本学にて「造形芸術コース」が設置され、本学ならではの造形論の必要性が議論された。そして奇しくも、私がこの「伝統空間造形論」の授業を担当することとなった。そこで、上述したような空間構成の原理を総合的に探求する学問を創造するにあたって、その思索を論述したいと思う。この論考が、本学が目指す伝統文化を軸とした特色ある「造形芸術コース」の創設に、我が国の新世紀にふさわしい伝統工芸の担い手育成に資することを祈るものである。

第1章 伝統的空間造形芸術を貫くものを求めて
 ここで論じる「伝統的空間造形」としての対象は、日本の伝統的空間に関連する造形芸術のすべてである。具体的には、建築(建築・庭園・都市)工芸(陶磁・漆器・染色)芸術(絵画・彫刻)など多岐にわたる。それらは複合されて(ひとつの)空間を構成する。また時間軸・空間軸を越えて文芸(物語・詩歌・俳諧など)芸道(花・茶・香など)芸能(舞楽・能楽・歌舞伎・邦楽など)迎賓(もてなし・しつらい・ふるまい・料理など)の文化諸相も多様である。これら全般をこの小論では仮に略して「伝統空間」と呼ばせていただく。
 これらの伝統空間を貫く真なる構造は何であるかについて論じる学問「伝統空間造形論」の最初の論考となる本稿では、副題に「聖なるものの具現」を挙げた。すなわち序説として「日本の伝統空間は聖なるものを具現化する試みであると言えるのでないか」という仮説を立て、これを論証させていただこうと思う次第である。
 「聖なるもの」とは、尊いものを指す。尊ぶべきもの・敬うべきものである。人が尊ぶ敬い方の折々によって、神聖なる存在・概念・立場・人・物など対象は変われども、伝統空間の諸相は常にその聖なるもの具現化を主眼に造形されていたのであると云えるのではないか。
 これは近代的思想のもとでの現代の教育研究において見落とされがちな視点であり、故に伝統文化を重んじる本学にて探求する価値がある視点と確信する。以下に、伝統空間に現われる十の諸相を例示し、聖なるものを具現化する構造原理を明らかにしてみたいと思う。

第2章  聖なるものを具現化する構造
(1)「森のかなたへ」 神の偏在する国土に
 古より、我が国は碧き海に囲まれ緑の島々として浮かぶ温暖の地であり、深き森と清き水とに恵まれていた。気候は優しく穏やかで、四季の変化が際立っており、里山や海河は実り豊かであった。深き森には霧の向こうに神秘の気が満ち、幽玄なるかなたに聖なるものの存在を人々は感じそれを畏れた。人々は霊域に注連縄を張り、参道に鳥居を立て、神前に恵みを感謝し、供物を奉献し、安寧と豊饒を祈った。
 日本の伝統空間の原形は、山を御神体とする三輪神社や斎島を海から遥拝する厳島神社など、自然そのものを遥拝する形に遡る。
 やがて、伊勢神宮や出雲大社のように、森の中に神聖空間である境内を拓き、神の住まいとしての神殿を建て、礼拝の対象とした。
 それらの中には鏡などの御神体が置かれることもあるが、あくまで依り代である。何処にも神が降臨することは、我が国の特質といえよう。今日でも地鎮祭となれば、四隅に竹を立て注連縄を張り祭壇を作るなど、極く簡易な架設と所作により、地鎮神を降臨させて祝詞を奏上することができる。なぜなら、神は偏在しているからである。
 そして、この簡易な架設と所作によりいつでも容易に神を臨在させる術こそ、日本のあらゆる伝統空間の構造的特質の源泉といえる。
写真1 三輪山写真2 厳島写真3 御幣
(2)「四神相応から仏教伽藍へ」 囲まれる大陸的聖域空間
 大陸からの文物や渡来人によって、様々な文明技術とともに、道教や陰陽道、印度より伝来した仏教などが、日本にもたらされた。
 古墳の石室内には玄武・青龍・朱雀・百虎の四神が描かれ、後に官職として陰陽寮が位置されるなど、陰陽道は国事の吉凶を占う重要技術となった。
 また、大和朝廷が仏教へ帰依するに従い、唐風の甍葺きなる寺院が建設されていった。回廊に囲まれた境内の中央に、仏像を納めた金堂、その脇に仏舎利を納めた仏塔が天を摩すように聳えた。こうした大伽藍配置によって聖なる空間が具体的に人々の眼の前に現われた。
 平安京はこれらの大陸技術受容の集大成であった。陰陽道に従って最も吉祥なる地が選ばれ、唐の都洛陽を参考に強い左右対称の軸線と輪郭が描かれ、羅城こそ無いが、羅城門の北、朱雀大路の先には築地塀に囲まれた大内裏に政庁が置かれ、さらに築地塀に囲まれた大内裏に天子が住まわれる。こうして聖域は幾重にも囲まれた構成となった。
 貴族の邸宅の寝殿造も、同様の空間構成を有していた。四周を築地塀で囲み、中央の寝殿を中心に、南に池(朱雀)、東に遣水(青龍)など四神相応(注1)の姿が借景とともに重ねられ、東西の対屋や釣殿・泉殿と透渡殿で結ばれた姿は、仏殿の伽藍配置に似て荘厳であった。
写真4 薬師寺写真5 平安神宮写真6 羅城門
(3)「対称と非対称の大調和」  唐様から和様へ
 遣唐使が廃止され、紫宸殿前の左近の梅が桜に変わった頃(注2)、平安朝文化は唐様からいよいよ日本特有の和様の姿を見せてゆく。
 文芸においては漢詩から和歌へ、真名から仮名の成熟へ、建築においては椅座から座礼へ、瓦葺から桧皮葺へと、和様化が進んでいった。
 その中で、左右対称から脱却して非対称や不完全なるものの積極的受容が見られてゆく。その嚆矢を法隆寺伽藍の金堂と五重塔の姿に看ることができる。先の紫宸殿前の左近の桜と右近の橘も好例である。寝殿造りは、完全な東西対称であったものが、西から東へと公的から私的空間へと進化してゆく。平等院鳳凰堂は完全なる対称形ながら、それを取り巻く庭園を対称に石組することは無かったのである。
 非対称なもの、不完全なものを積極的に評価する態度は、穏やかな風土の中で様々に変化する諸相にこそ、また世の無常のあわれの中にこそ、私達が真なる大調和を見出して来たためであろう。
 雲のかかる月を愛で、花も紅葉も無き苫屋の夕暮れや、島に隠れてゆく舟をおもう、幽玄なる美を求める心もこれに同じ心象である(注3)。
 後に侘び茶の空間や道具に結晶されてゆく、非対称な不完全ないびつなものをも受容し愛し敬いて、より大いなる調和を尊ぶ構造が、我が国ならではの伝統空間の構造として深く醸成されてゆくのである。
写真7 法隆寺写真8 紫宸殿写真9 東三条殿
(4)「空間を間仕切る」  しつらいのはたらき
 寝殿造りはその建築技術ではまるで堂祠殿舎にそのまま住んでいるようなものであった。初期には沓のまま上がり椅子を使っていたが、やがて檜木の床板に座具を置き座礼となった。間仕切建具は未成熟であったため、内部はその用途に応じて几帳や屏風を置いて仮に間仕切った。こうした仮の調度の置き方により空間の機能を分け、慶弔葬誕に対応する方法を室礼と書き「しつらい」と呼び現わすこととなった。
 その後、書院造りへと発展する過程において、丸柱は角柱となり、その間の敷居と鴨居の間に板戸・障子・襖戸などを嵌めこんだ引違戸が発達し、襖には画が描かれた。以前は雨天や夜に妻戸や蔀戸を閉めれば闇転した室内に、適度な明りや通気が確保されるようになった。また座具であった畳が部屋中に敷き詰められて座敷が生まれた。
 日本の伝統空間は、座敷と座敷、座敷と縁側、そして内部と外部とを融通無碍に切ったり繋いだりできる構造を獲得する。宝物を飾る長板は床に、文机は付書院に、飾棚は違棚にと、象徴的に建築化され、それ以外の調度はなるべく座敷に置かないことが尊ばれた。
 かくして、座敷はまるで仏堂のように伽藍として、何もない空間がまずは保たれ、外に向かっては庭園を、内にあっては障壁画を、奥には床のしつらいを愛でる、実に清浄な聖なる空間となったのである。
写真10 寝殿写真11 二条城 大広間写真12 桂離宮 新書院
(5)「橋掛り」 あの世とこの世を繋ぐ装置
 神社や仏堂伽藍や寝殿造においては、建築と建築は間を置いて建てられ、それらの棟は回廊で繋がれた。寝殿造では主殿から東対屋・西対屋へ、さらに庭に張り出した釣殿・泉殿へと、透渡殿や回廊で結ばれた。
 回廊と回廊によって区切られた小さな庭が坪となるのである。これらの庭の景色を左右に眺めながら回廊を渡ってゆく時、人々は棟から棟へと違う次元の空間へと越えてゆくように感じた。
 能舞台と鏡の間を結ぶ橋掛は、まさにあの世とこの世を繋ぐ橋である。演目のシテの多くは遺恨をもって死んだ亡霊である。ワキの旅僧の前に姿を現わした後に消え、ワキが由緒の場に一晩篭っていると、その夢の中に亡霊が再び現われ、執着の次第を語るが、ワキの仏法修験道によって調伏されて、あの世に成仏してゆく。
 境内に掛る橋、庭園に掛る橋、祭の山鉾にわたる橋、歌舞伎舞台の花道など、これらは皆、この世と聖なる異次元とを結ぶ装置である。
 また、鳥居を潜って拝殿へ導く玉砂利の参道も、門を潜って仏殿に誘う石畳の道も、雁行に配置された書院を渡ってゆく縁側も、寄付を出でて枝折戸を開き露地の中を茶室へ誘う飛石も、私達をこの世から聖なる空間へ導く装置である。
写真13 西本願寺 南能舞台写真14 平安神宮 泰平閣写真15 高台寺
(6)「置き合わせ」  座敷飾りという空間造形術
 室町時代、足利将軍家の会所座敷に唐物諸宝をどのように展示配置するかが、将軍の美術顧問であった同朋衆に課せられた重要な仕事であった。能阿弥が残した「君台観左右帳記」をはじめとする多くの伝書に、それらの展示方法が記録としてたくさん残されている。美術調度が大量に収集され、これを展示する作法が意識されるに至って、美術調度は建築ともに空間を造形する重要な要素となった。
 やがて一定の方法論が編み出され、三具足などを使った座敷飾りは、仏前の荘厳に似た、聖なる空間の創造法であった。この工夫の過程を経て、やがて花瓶の名手、点茶の名手、聞香の名人が生まれて行くことになる。後に華道・茶道・香道などに極められてゆく様々な芸道において、枝振りや諸材料や諸道具などを、どのように組み合わせて配置するか、その「おきあわせ」は、作法や点前の根幹として、さらに重要な意味を持つようになってゆく。
 これら諸道具の組合せや配置、例えば台子に道具を飾り付ける、盆に天目台と茶入を荘る、茶碗に茶巾と茶筅と茶杓を仕込む。点前に従い、道具が一定の場所に正確に配置される一連の所作。儀礼とも訳される「置き合わせの方法論」こそ、諸芸道における聖なる空間を造形する「秘術」そのものなのである。置き合わせの意味はここに極まる。
写真16 四頭茶会 三具足写真17 曼殊院 座敷飾写真18 台子飾
(7)「花」  一瓶の空間造形
 そして座敷飾における花瓶の名手が現われてゆくことになる。これが池坊立花成立の源流である。
 花瓶は、もともとは仏前に供えられたものが、やがて座敷の床飾りとして主人や客人を喜ばすものとなった。仏のためであれ人のためであれ、花は常に今日に至るまで、尊いもののために捧げられてきた。
 花は一輪にても美しい姿を有する。その花の複数本を瓶に挿し、形を整えてさらに美しい姿をつくる試みが立て花である。自然に生息する花も美しい。しかしその不用な葉を除き、枝を撓めて、より美しい造形美を求めてゆく。正面を定め、役枝を選んで、型を決めてゆく。
 専応口伝に云く「一瓶の花は一端の興を催すのみにあらず、その小水尺樹に江山の勝景を表す」と。単に美しい花を観賞するばかりでなく、草木の生命、風興を基とし、花をいけることによって悟りにも至ると(注4)。ここに立て花は聖なる空間の造形物となるのである。
 一瓶の花は、人間の手による造形物でありながら、自然の美しさを備えている。また命在る花は、やがて枯れてゆく。限り在る寿命のなかでその命を惜しみながら、ひとときの美しさを人々は愛でるのである。
 どのような場所であっても、一瓶の生け花が置かれるところには必ず聖なる仏の光が顕現化され、空間は浄化されるのである。
写真19 砂の物写真20 立花写真21 生花
(8)「茶」  一椀をめぐる空間造形
 殿上での唐物茶の隆盛の後に、侘び数寄と呼ばれる茶が禅門より生まれ、町衆から武家をはじめ、貴賎を問わず楽しまれるようになった。
 町屋敷の奥に深山の風なる露地をつくり、隠遁の体なる小さな草庵を構えて、数人の親しい客人を招いて喫茶でもてなし、寄合の一座を建立する。市中の山居に、聖なる時空を架構する試みである。
 茶室は、空間を超えるために極限まで狭く営まれた。光は、実在を超えるために玄妙なほの暗さが求められた。茶碗は、形を越えるために極限まで形無きものがつくられた。
 床には、仏画や墨跡・書画が掛けられ、野にあるように生けた茶花が供えられて、聖なる空間の存在が示された。
 道具は唐物が無くともよく、侘びた風情のものが尊ばれた(注5)。整ったものも良く不完全なものも良く、それらは定められた丁寧な点前所作によって大切に扱われ、清められて、拝見され賞玩された。
 ここに、書画・詩歌・陶磁・漆器・建築・庭園などあらゆる種類の芸術工芸が一堂に会した総合的文化芸術が構築されていった。そして、これらは禅の精神を軸に束ねられ、求道的な悟りへの道と為された。
 全ての良きものに聖なるものを見て、涅槃の悟りに導く、我が国の空間造形術の、ひとつの集大成と云える茶道が磨かれていった。
写真22 露地写真23 草庵写真24 点前
(9)「道具の心」   悟りへの道標
 以上に述べてきたような空間造形の中で、作り出されてきた様々な美術工芸は、最初は神仏のため、帝のため、やがて公家、将軍、武家などのために、町衆によってつくられてきた。やがて町衆同志が自分たちのもてなしや美しい暮らしのために工芸をつくり合った。
 これらの工芸は、使われる方と客をつなぐためのものであり、ただの物ではない。亭主が客への思いを言葉だけでなくものに託すのである。従って作り手には亭主との連帯した意識が求められるのである。
 こうして茶の湯において、用具は道具となる。茶を点て飲むために不可欠な用具としての役割を果たすだけでなく、侘び茶の精神を様々に象徴し、亭主の趣向を様々に表現する仕事を担うのである。
 茶碗は特に、客が実際に手を取って、口をつけ、その空隙の中に顔を埋めるため、時に深山幽谷、雲中仙遊の境地に人を誘う。
 漆の茶器は、その茶室や座敷にふさわしい形と玄妙なる漆黒の艶をもちながら、時に施された鮮やかな文様蒔絵により雅なる世界を語る。
 竹の茶杓は、どこにでもある天然素材が、手際良く切り取られ、矯め削られて、茶をすくう最小限の道具となることを証明している。
 このように、茶の湯の道具をはじめとする日本の工芸は、様々な芸道が求める悟の境地への「道標」を示す域にまで達しているのである。
写真25 楽茶碗 長次郎写真26 棗 中村宗哲写真27 茶杓 黒田正玄
(10)「もてなし」   迎賓の空間術
 大切な客をもてなし時にこそ、これらの空間造形は普段に増してさらに大きな役割を担うこととなる。
 門前は精霊を迎えるに似て掃き清められ水打ちされ、露地もまたよく清められる。客は蹲踞の水で口を注ぎ、心を清めて席入する。
 座敷には必ず床の間があり、仏画や墨跡、書画などが掛けられ、あるいは前後して花が生けられるのが日本の正しきもてなしの型である。
 懐石ともなれば、椀などが置きあわされた漆黒の膳が持ち出され、客は押し戴いて拝受する。膳はひとつの境内である。この世とあの世を仕切る結界が如き箸、その先に左右に侍すが如き汁椀と飯椀。向付にはその季節の仏国土が象徴されるが如き姿である。
 濃茶・薄茶に移れば、一つ一つに趣向にふさわしい意味が込められた道具の数々を、組み合わせ、置き合わせて、一座建立の空間がつくられる。
 また広き座敷での後座ともなれば、膳に先立つ舞楽や舞や邦楽は、神前に奉納される神事に似て厳粛であり、亭主と客、客と客とで交わされる酌杯の礼は、儀典の意味合いを深くもつのである。
 かくして、迎賓における日本の空間造形には、数々の空間要素の中に幾重にも「聖なるものへの構造」が演出されているのである。
写真28 門前写真29 床の間写真30 懐石膳
第3章 日本の伝統文化の構造
 以上に述べてきたように、古より今日まで、この国土においてはあらゆる伝統空間において聖なるものを目に見える形に具現化して表現する智恵と技術が養われ蓄積されてきたといえる。
 穏やかで美しい風土の中、聖なる存在は常に偏在し、神殿や仏殿ならずとも、住居や庭園などのそこそこに、聖なるものが招来された。
 華道・茶道・香道をはじめとする芸道や、剣道・弓道・槍術などの武道も、能楽・邦楽・舞踊などの遊芸さえも、それら自身が菩提心への修養の道とされ尊ばれてきた。それらに関わる伝統空間は、常にそれにふさわしい場を提供してきた。その他の様々な季節の祭礼や、貴賓のもてなしや、普段の日常生活においても、時に応じて様々な場所に聖なる空間をしつらえて、祈り、もてなし、味わい、楽しんできた。
 かくして、日本の空間造形の本質は、芸道空間・芸能空間・迎賓空間や日々の生活空間の中に、聖なるものを具現化する構造を数限りなくもっていることである。
 天と地の空間を繋いで、一時と永遠の時間を繋いで、この世の様々な空間に聖なる光を顕在化させ、全てのものに聖なる光を具現化させる術が、日本の文化の特質なのである。
 その文化のために役立つ仕事をせんと志す人には、是非とも以上のことを理解して欲しいものである。近代的思想や教育のもと、個人の自己表現や感情表現のための作品創造が奨励される風潮があるが、無私なる思いで、聖なる空間の具現化に務めてほしいと願うのである。
 先人の見出した型を守ってくりかえし反芻し、やがて自分のものとして、創意工夫の自在の境地を獲得する。こういった守破離を目指す身心修養の姿勢が、伝統文化の理解体得には不可欠である。それが、心身ともより尊い存在に近づく道であると、それは教えているのである。

第4章 世界の中の日本文化
 さて、これらの構造は、いったいどの程度世界の中で我が国に特異なものなのであろうか。世界の他の地域における伝統文化と比較してゆくことが、今後の私に課せられた命題のひとつであると思う。
 諸地域の伝統文化の中にも「聖なるものを具現化する」姿は多く見出される。ユネスコに続々登録されている世界遺産の多くの神殿・聖堂・仏殿・墳墓や祭礼などは、すべて聖なるものの具現化である。
 では、いけばなはいかがであろうか。フラワーマネジメントと訳される花の造形は数々あれども、一瓶に仏国土を表現した国はあったか。
 では、茶の湯は如何であろうか。ティーセレモニーと訳される茶会は数々あれども、一椀に仏法を込めた茶が何処にあったか。
 では、香道は如何であろうか。インセンスを楽しむ風習は数々あれども、銘香の香りやその名前に文学を仮託する作法は何処にあったか。
 世界の中での前々世紀までの伝統文化において「聖なるものの具現化」は共通した空間の構造であると考察される。としても、これほどまでに生活に、芸道に、遊芸に、道具に、聖なるものを込めて、人々を浄化し教化してきた文化は何処にも無いのではないだろうか。ここに日本文化の特質であると、私には思われるのである。
 かつての日本には、あらゆる空間に聖なるものの具現化が満ちていたのである。明治維新による文明開化を経て、また第二次世界大戦での敗戦の後に、私達は多くの文化財とともに、多くのよき精神風土を失った。今日の我が国の精神的空間的な混乱を憂いつつ、その再生を祈して止まない。そのためにも日本の伝統文化を教育の根幹に置く私達としては、日本の伝統文化の意味をよくよく再認識して、次世代へ発展的に継承させてゆく責務があると、私は決意を新たにする次第である。

注釈
注1.四神に相応しい最も尊い地相を指す。東に流水のあるのを青龍、西に大道のあるのを白虎、正面の南に窪地あるのを朱雀、後方の北方に丘陵のあるのを玄武とする。官位・福禄・無病・長寿を併有する地相で、平安京はこの地相を有するとされた。
注2.遣唐使が廃止されたのは寛平六年(八九四)、紫宸殿前の左近の梅が桜に変わったのは天徳四年(九六〇)消亡後の再興時。
注3.「花は盛りに、月は隈無きを見るものかは」「徒然草」(兼好法師)、
   「珠光の物語とて月も雲間のなきは嫌にて候」「禅鳳雑談」(金春禅竹)
   「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」(藤原定家)
   「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れてゆく舟をしぞ思ふ」(小野 篁)
注4.「只小水尺樹を以って江山数程の勝概をあらはし、暫時頃剋の間に千変万化の佳興をもよをす。宛仙家の妙術ともいつつべし。凡初頓の花厳といふより法花にいたるまで花を以て縁とせり。青黄赤白黒の色、五根五体にあらずや。冬は郡卉凋落するも盛者必衰のことわりをしめす。其中にしも色かえぬ松や檜原はをのづから真如不変をあらわせり。世尊拈花を見て、迦葉微笑せられし時、正法眼蔵涅槃妙心の法門、数の外に別に伝、摩迦大迦葉に付属すとはの給ひしか。霊雲は桃花を見、山谷は木犀をきき、みな一花の上にして開悟の益を得しぞかし」「専応口伝」
注5.「この道の一大事ハ、和漢之さかいをまぎらかす事、肝要肝要、ようじんあるべき事也」心の文(村田珠光)

●次に進む
●「研究・論文・執筆」インデックスに戻る
●「岩崎正弥のHP」インデックスに戻る