新・市中の山居   「茶道雑誌」 2000年12月号
細見美術館 古香庵
(池坊短期大学助教授) 岩崎 正弥

 細見古香庵の初代、細見良氏は明治34年(1901)兵庫県の日本海側、浜坂町栃谷に生まれました。尋常小学校卒業時に父が事業に失敗。13歳にして単身大阪へ出て、毛織物業界に見習として入ります。業績を伸ばして、抜群の商才を発揮して23歳にして泉大津市に細見良商店を独立創業。主に毛布を松坂屋など各都市の百貨店に販売。昭和5年(1930)には毛織物製造に着手し、スミレ毛織物株式会社を創立して社長に就任。翌年には泉州の産地から直に各地百貨店に販路拡大するため細見商事株式会社を創立。自邸を建設し、天龍寺の関精拙老大師から「古香庵」の名を賜る、時に弱冠30歳。このころより精力的に美術品の収集を始めます。数多くの収集の間にはとんでもない贋物をつかまされたり、それらの逸話を隠さず語って教訓とし、いっそう確かな眼力を養ってゆきました。
 戦後間もない昭和25年からは数次にわたって海外の博物館・美術館を視察し、事業引退後はさらに収集・著作に専念しました。ことに嫡子の實氏(現理事長・二代目古香庵)への教授法は厳しく、息子の収集した品を贋物と評し安値で買い取って幾倍かの高値で売りたてて見せたり、気にいらない品を息子の留守中に勝手に売ってしまたりと、悔しい思いをさせながら鍛えました。
 その初代は昭和54年に78八歳で死去。コレクションは二代目による収集を加えて孫の良行氏(現館長)に引き継がれました。その全貌は、仏教美術、神道美術、大和絵、琳派などの絵画、茶道具、漆器など、重要文化財約30点を含む、約3000点以上の雄大なものです。
 初代没後より20余年。満を待しての財団設立。京都岡崎に敷地を得て、設計に新進気鋭の現代建築家、大江匡氏を起用、竣工後に1年の準備をかけて、平成10年(1998)3月に細見美術館は開館いたしました。建物の大半を地下に納め、中庭を置いて光を地下2階にまで導き、外壁を特徴づけている左官櫛目引き仕上げが内側にまで連続しています。展示室は1階から地下2階まで3層に重ねられ、それぞれが中庭に面した外部階段で繋がれています。展示ケースは作品との隔たりを感じさせないよう、展示台も床材と同じオーク材が敷かれて、偏向ガラス照明が埋め込まれるなど、独創的な工夫がなされています。
 さて、その屋上階の、東に大きく張り出された屋根の下に、今回紹介する茶室、その名も「古香庵」があります。中村外二棟梁の本当に最後の作となった14畳の茶室は、大屋根の軒裏を天井と見立てながらそれとは独立して置かれ、東に向かっては隔てるガラスサッシュ無く直接に外気に接しているなど、施主・細見良行、設計・大江匡、施工・中村外二の創造的格闘の程が窺われます。この茶室に座して、テラスと向月台越しに東山を眺め、風や街の音に気付く時、自然と伝統と現代との不思議な出会いと調和をそこに感じさせられます。
 茶室の構成は実に単純で明快。東面のすべてを障子戸で開け放ち、それ以外の三面をコの字に固めて、右手から壁・付書院・床・棚・襖・壁・障子戸と、真框の床の間(1間半)以外はすべて1間幅、杉面皮柱の造作。
 ここでは教育普及の場として、茶の湯や美術工芸についての講座や講習会など数多くの事業が展開されています。少しでも美術品を間近に鑑賞して欲しいとの発意からで、各節句には館長自ら亭主となる古香庵茶会や、春秋には会員を対象とした「茶事」等が催されています。また今秋からは、ここで抹茶とお菓子をいただける一般公開も始まりました。
 地下2階のミュージアムショップ「アートキューブ」で書籍や工芸を楽しみ、中庭に面する天井の高いレストラン「カフェキューブ」に座って、階段やブリッジを行き交う人々や空を見上げると、この劇的な空間がこれまで多くのコンサートやファッションショーなどの会場となってきたことが頷けます。
 それにしても、訪れる人々も働いている人々も若々しい。堀木エリ子の和紙スクリーン、アートディレクター中條正義の特異なロゴ、挑戦的な季刊誌「古今」、そして先ほどの茶室「古香庵」等々。ここには本物の美への理解に裏打ちされた若々しい光と風があります。デザインが、人が、空間が生きているのです。そして先ほど目にしてきた日本の古典的至宝が、この瞬間にも生きているデザインとして薫り立ってくるのです。これが細見家の美への眼差しであったのではと、私は気付かされました。
 美を主題に、日本と世界を、あるいは過去と現代をめぐって、思索を深めるにふさわしい、京都の新しいオアシスの誕生です。
●次に進む
●「研究・論文・執筆」インデックスに戻る
●「岩崎正弥のHP」インデックスに戻る