新・市中の山居   「茶道雑誌」 2000年08号
安田火災海上保険株式会社大阪支店 「安分庵」
(池坊短期大学助教授) 岩崎 正弥

 今回ご紹介するのは、大阪は淀屋橋から南へ10分、御堂筋に面する安田火災大阪ビルの茶室「安分庵」です。ビルの9階に隠れる、まさに現代の市中の山居にふさわしい茶室です。
 安田火災海上保険株式会社は、わが国最初の火災保険会社・東京火災保険会社として明治21年(1888)東京市京橋区に創業した、その業界での雄であります。また同社は創業以来、文化振興に積極的に努められていて、東京本社ビルの「安田火災東郷青児美術館」は、ゴッホをはじめとする名画コレクションで知られています。
 この大阪ビルの建設にあたっては、東の「安田火災東郷青児美術館」に対する西の「安分庵」として、関西文化の振興に役立つことを期して、裏千家家元千宗室氏の設計監修による本格的な数寄屋茶室をビルの中に設けることとなりました。昭和57年(1982)6月12日に席披きがなされています。庵号の「安分庵」は、「安分以養福(分を安んじ以って福を養う)」から名づけられたとのことです。
 さて、エレベーターを9階で降りて、事務所の間の廊下をしばらく進むと、ひっそりとした杉板戸が現れます。これを引き開けると、思いがけず数奇屋の空間が待ちうけているのです。正面の受付クロークを右折して進むと、やがて平瓦敷きの露地に導かれます。
 ビルの中の茶室では、露地をどのようにつくるかが大変難しいところですが、ここでは、生きた植え込みを一切使わずに、石や砂利や木・竹などの素材を使って、自然の風情を象徴的に創り出しています。例えば腰掛待合のある天井の栗のナグリは、野趣がありながら風雅であり、軒下のようにも樹下のようにも思え、足元の敷瓦平瓦敷きとともにあたかも深山の禅寺にたたずむかのような印象を与えるから不思議です。この露地の続きに約3間四方の立礼席があります。明かり障子からの外光を、床のカーペット、網代天井の赤杉や床の間の真塗りの天板が、柔らかく和やかに照り返しています。
 露地に戻り、竹菱垣に杉目板の結界の枝折戸を開けると、足元はたたき三和土となり、山路をゆくような懐かしい感触が伝わってきます。
 その左向こうに、ほんのりと照らされた吊り障子のもと、どっしりとした礎石の蹲踞が簡略化された石組に囲まれて据えられています。水音がことことと響いていたのは、この筧の音かと気付かされます。石組の先には白砂利がさらなる奥行きを感じさせます。
 手を清め口をすすいでその右先へ進むと、一転して明かり障子とアクリルの天井照明に照らされた華やいだ場所に誘われます。正面に赤松の式台、左右に欄干がついた縁側によって三方を囲まれたその空間は、どことなく広々とした海に張り出された能舞台を思わせます。されば、白妙に渡す飛石は、「波の淡路の島影や」と、高砂の謡の一節でも聞こえてきそうな朗々とした気分になります。
 その飛石に導かれるままに沓脱石に着き、上がって左に折れれば本席「安分庵」、右に曲がれば「松竹梅の間」と小間茶室「吟松庵」に至ります。
 本席「安分庵」は、本勝手八畳間で、その手前に六畳間(大炉切)、右手に一間幅の鞘の間、左手奥には広い水屋が続く、使い勝手の良い構成になっています。柱と床框は北山杉天然絞丸太、ほかの柱は杉面皮、床脇の地袋には古代裂、天井は吉野杉中杢の竿縁天井と、品格の高い広間茶室です。
 「松竹梅の間」は八畳本勝手、床柱に松皮付丸太、床框に梅の古木(天端を溜塗り)、床脇の無目にごま竹と、その名のとおり少し瀟洒な造りとなっています。床脇の付書院風の欄間にある杉板の遠山透しも、楽しい意匠です。
 この奥にたたずむ三畳台目向切の小間「吟松庵」は、しゃれ木の床柱、赤松の床框、三和土の露地から上がる躙口などと枯れた姿で、この茶室全体の侘びの心を引き立たせています。
 一巡して感じたことは、この茶室が同社の方々にたいへん大切に使われていることです。ここは、同社のお客様をもてなす迎賓施設として活用されています。それゆえ残念ながら一般への貸席はいたしていないとのこと。
 そして阪神大震災以降は、それまでの大阪経済界の方々の茶会の場であった風清庵(三越大阪店・解体)に代わって、この安分庵がその会場となり、名前も「安分会」と改めて年に2回、関西財界の数寄者の集いの場として楽しまれているとのこと、これも関西文化への貢献として意義深いことでありましょう。
 都会の慌しい生活の中で、思いがけず招かれた客人たちは、さぞひとときの清涼としばしの静寂を楽しまれることでしょう。
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